司法書士法人オールシップの「相続・遺言・生前対策」の業務にかける想い
司法書士法人・行政書士オールシップ代表の市山です。
当事務所では、「相続・遺言・生前対策」の業務を中心業務に据えています。
ここでは改めて、当事務所がなぜ「相続・遺言・生前対策」を積極的に行っているか、業務に対する私の想い・信念をお伝えしたいと思います。
相続・遺言・生前対策の業務にかける想い
おじいちゃん・おばあちゃんが大好きでした
私はおじいちゃん・おばあちゃんが大好きでした。大好きでしたし、尊敬もしています。
幼少の頃から、父方の祖父母と同じ町内で暮らしていました。
小学校の帰り道によく祖父母の家によってはおやつを食べて帰っていたものです。
祖父母は長崎県の壱岐出身で、大学進学の際に上京。
第二次世界大戦の際は、仕事で当時の満州で暮らし、引き揚げの際はとても苦労したそうです。
終戦直後、祖父は、財務省(当時の大蔵省)の採用面接を受け、採用面接では後の首相になる池田隼人の面接で、「日本は今後どうすれば復興できるか」という質問に、「国民の志ひとつです」と答えて採用されたそうです。ゆるぎない意志と信念を持った人でした。
私が高校生になる頃には、祖父母が高齢になってきたこともあり、祖父母と同居をするようになりました。祖父は当時一緒に暮らしていた犬をよく可愛がっていました。
同居して数年後、祖父は白血病を患い、他界しました。
最後まで自身の快復を信じ、懸命に病気と闘っていました。病院での面会で「怠らず勉学に励むように」と言われたことを今も覚えています。
祖母は、4人の子供を育てながらも、薬剤師として働き、小柄だけどとてもパワフルな人でした。
祖父の死後、自宅で父母の介護のもと、訪問医療や訪問介護を利用しつつ暮らしていました。
後年は物忘れが出ていましたが、私の顔を見るといつも「あら元気?」と笑ってくれました。
足腰が丈夫でほとんど自分の足で歩き、97歳で老衰により他界しました。
母方の祖父母は、私が暮らす千葉からは電車で約2時間弱ほどの距離でした。
小学生の頃から、毎年、祖父母の家に泊まりに行ったり、祖父母が家に泊まりに来てくれたりと、祖父母に会うのがとても楽しみでした。
母方の祖父母はともに横浜の生麦出身。
祖父は第二次世界大戦で人間魚雷の特攻隊に配属され、出撃直前に終戦を迎えたそうです。
祖父は小さな頃から絵を書くことが好きで、終戦後は画家として暮らしていました。
家族の話では暮らしは大変だったと言いますが、祖父はとても人に好かれ、祖父の家にはいつも誰かしら立ち寄り、近所に住む親族ともみな家族のように暮らしてきたそうです。
私も祖父の昔の体験談や持論を聞くことがとても楽しかったです。
私が大学生の頃、祖父はくも膜下出血で倒れました。
意識は回復したものの、脳血管性認知症を発症し、自宅で暮らすことができなくなりました。
病院を退院した後、老人保健施設に一時入居しながら、母と叔父は祖父が安心して暮らせる施設を探すのに奮闘しました。
縁あって、職員の方々がとても温かい施設に入居することができ、安定した生活を送れるようになりました。
私が面会に行くと、私のことがわからないときもありましたが、いつも笑って迎えてくれました。
危篤の際、ベッドの祖父に「あまり来られてなくてごめんね」と言うと、パッと目を開き、力いっぱいの手で私の頭を掴んで胸に押し付けてくれたことは今でも忘れられません。
その数時間後に祖父は亡くなりました。祖父は私たち家族が会いにくるのを待ってくれていたのだと思います。
祖母はとても料理好きで、大きな声で笑う明るい人でした。
祖母の家に行くといつも食べきれないくらいの料理が並びました。
自治会や婦人会などにも積極的に参加し、近所の人からもとても慕われていました。
祖母は、祖父が倒れて暮らしが一変したことをきっかけに、アルツハイマー型認知症を発症。
母は毎週のように祖母のもとに行って支えましたが、やがて家で一人で暮らすことが困難になり、特別養護老人ホームで暮らすようになりました。
私が面会に行っても、目をつぶって横になっていることが多かったですが、穏やかに横になっている祖母を母は安心して見つめていました。
祖父母のことを思い出すといつも、祖父母の家に漂っていた油絵具とコーヒーの香りを懐かしく思い出します。
歳を重ねるということ・生涯を終えるということ
病気、自宅介護、施設入居と、祖父母本人も祖父母を支えた両親も大変な苦労がありました。
そして、祖父母が亡くなった後は、相続の手続きが待っていました。
父方の祖父が亡くなったとき、父はまだまだ現役で仕事をしていました。また、初めての相続で、どこに何を相談すればよいかわからない状況で、とても大変そうにしていました。
母方の祖父の相続の際は、祖母の介護のこともあったので、また違った意味で大変な状況でした。
人が亡くなった後は即座に、家族としてこれほど大変な手続きが待っているのだと、側で見て実感した瞬間でした。
祖父母と祖父母を支えた両親の姿から得た信念
私が司法書士という資格を目指したとき、正直に言うと恥ずかしいですが、特に強い想いや理念があったわけではありませんでした。
ちょうど就職氷河期の真っ只中で、就職活動もままならないというなかで、何か手に職をと選び取得した状況でした。
しかし、司法書士として仕事を行い、個人の案件や企業法務など様々な経験をしていくなかで、私の仕事観に強い影響を与えたのは、祖父母と祖父母を支える両親の姿でした。
書ききれないくらいとても楽しく心温まる祖父母との思い出がある一方、本人や家族・親族には介護や相続の大変さ・苦労があるのも事実です。
祖父母は、人が歳を重ねるとはどういうことか、本人や家族はどういう想いでいるのか、生涯を終えるとはどういうことかを、近くで身をもって教えてくれました。
司法書士の仕事のなかでも、とりわけ相続や家族に関わる仕事を中心に活動している背景には、そうした祖父母と祖父母を支えた両親の姿があります。
本人や家族の大変さ・苦労をこの仕事を通じて少しでも軽くする、そして家族・親族の絆を繋いでいくことが、自分が司法書士としてやるべきことだと考えています。
「本人も家族も安心して歳を重ねられる社会を作る」、それがこの仕事をするうえでの私の信念になっています。
そして、私自身も家族を持ち、両親がかつての祖父母の年齢に近づくに連れ、改めて、「本人も家族も安心して歳を重ねられる社会を作る」という想いを日々強くし、司法書士としてできることを日々やっていこうと業務にあたっています。
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この記事を担当した司法書士
司法書士法人・行政書士 オールシップ
代表
市山 智
- 保有資格
司法書士 行政書士
- 専門分野
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相続・遺言・成年後見・民事信託
- 経歴
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相続・遺言・生前対策を中心に取り扱う「司法書士法人・行政書士オールシップ」の代表。相続関係の手続きや成年後見等の財産管理など、年間300件以上の相談に対応。分かりやすく・笑顔で相談に乗れるよう心掛け、迅速・丁寧な対応で依頼者からの信頼も厚く、リピートや紹介での依頼も多い。相続関連書籍の執筆協力やセミナー・研修等の講師実績も多数あり。